【翻訳】John Curry - Maestro Documentary Part 2

John Curry - Maestro Documentary Part 2, 3
http://www.youtube.com/watch?v=_09WZXBOzAw

# British Englishが苦手なので、聞き間違いが多々ありそうです。
# あらかじめお詫び申し上げます。

ナレーター:
ジョンは三人兄弟の末っ子。学校では良いアスリートだったが、チームスポーツは大の苦手だった。ジョンが15歳の時、父親が死去。日に日に芸術性への関心を高める息子を、この父が理解することはついぞなかった。

John Curry:
クリスマスか誕生日に、父が5ポンドくれたんだ。自分のために何か買うようにと。僕はレコードを買った。シェヘラザードと、くるみ割り人形と、白鳥の湖と、田園組曲。それらを、なぜ選んだのかは憶えていない。きっとジャケットか何かが気に入ったのだろう。どれも全く聞いたことがない曲だった。満足して家に帰り、買ったものを父に見せたら、彼はとても不満げだった。「この先も大事にするものを買えばいいのに」と。そのとき買ったレコードは、ボロボロだが未だ手元にある(笑)

Interviewer:
スケートの話へ戻ろう。君は7歳からスケートを始めている。その後は順調だった?

John Curry:
リンクに通えるのは一週間に一度だけ。その日をとても楽しみにしていた。ある日、いつもとは違う土曜の朝に、スケートへ連れて行かれた。母に新しいセーターを着せられ、下は半ズボン。膝が寒くて、着心地悪かった(笑)それはともかく、たくさんの人が見ているが一切気にするなと言い含められ、新しいセーターと半ズボンで、指示されるままにスパイラルをやった。しばらくすると、ウォーレイ・ジャンプ、スリー・ジャンプをやるように言われた。最後はアップライトスピン。他の子供達も同じようにやっていた。その後、誰かに「君は賞金を手に入れたんだよ」とか、優勝したとか、そのようなことを告げられた。それが試合だと、当時は気づかなかったんだ。

ナレーター:
ジャッジに音楽の解釈を気に入られたジョンは、数々の試合でメダルを獲得した。しかしイギリスのジュニア選手権で、評価が変わる。

John Curry:
僕の外見が少年から青年へと変わるにつれ、いままで周囲に喜ばれていたもの、奨励されていたことが、不適切だと言われ始めた。腕をそんなに使うべきじゃない、スパイラルはやめた方がいい、軽く優雅な身のこなしは避けるべきだ、と。文字通り、優雅なのはやめろと言われたんだ。何故だか理解できなかった。彼らは子供だったら受け入れられることが、青年からは受け入れられなかったんだ。

Interviewer:
チャンピオンを目指す間、生活の糧はどうしていたの?

John Curry:
家を出てロンドンに移り住んでからは、まずスーパーマーケットで働いた。朝の6時から正午までスケートし、午後1時から6時までスーパーで仕事。夜まで残業もしばしば。それで練習とレッスンに必要なギリギリの額を稼げた。次にロンドンでフロント係の仕事を手に入れ、収入は週13ポンドに上がった。交通費を含めてカツカツだったが、幸運なことに、この国はリンク使用費が安く、レッスン代もそれほど高くない。だから何とかなったが、僕はいつでも非常に貧しかった。電車に乗るのをやめて、交通費を浮かせれば、週末1ポンド残るかと考えるほどだった。交通費は払わざるを得なかったけど(笑)

Interviewer:
孤独は感じなかった?

John Curry:
ラッキーなことに、僕を助けてくれる素晴らしい人々に巡り合えた。彼らは本物の友達だ。僕を4年間教えてくれたアリソン・スミス、彼女がいなかったら、僕はやっていけなかっただろう。一番つらい時期に、僕を支えてくれた。僕のスケートを気に入ってくれたという、ただそれだけの理由で。

Interviewer:
君が「本物の」友達と強調したことで、それがなかなか得難いものである、という印象を受けたのだけど?

John Curry:
確かに、真の友情は簡単に見つかるものじゃない。僕は気難しいから、余計にそうだろう。希少な友達がわずかでも身近にいるのは、とても幸運なことだと思う。

ナレーター:
ジョン・カリーのキャリアに最も影響を与えたと言われる者の一人がEd Moselerだ。彼が初めてカリーに声をかけたのは、1972年の世界選手権で、英国チャンプの彼が4位に入賞したときだった。当時のカリーは、エドが何者なのかを全く知らなかった。

John Curry:
彼はアメリカ人で、アメリカチーム全体のサポートをしていた。トレーニング費用を出資したり、医大へ入る青年を支援したり。とても気前のいい人だった。僕はU.S.の市民権がなかったので、本来は彼のサポートを受けられないはずだが、彼はここ3年ほど、ポケットマネーで僕を支援してくれている。それがなければ、僕が続けられないことを知っているから。

Interviewer:
君にはたくさんのコーチがいるよね。何人か数えた?

John Curry:
いま考えていた。10人だ。スケートのスタイルが素晴らしいKen Vickers、インスピレーションを与えてくれたPeri Levitsky、昔のフィギュアスケータの話をよくしてくれたアルマン・ペリン、彼のおかげで氷に8の字を描くフィギュアの意味や、ブラケットやロッカー、カウンターなどの面白さを知った。あとArnold Gerschwilerや、Alison Smith、彼女は僕の芸術面を育んでくれた唯一の先生だ。アメリカで6週間しか続かなかったPeter Dunfield、ジャンプに関するたくさんのことを教えてくれたGustav Lussi、Carlo と Christi Fassi、全部で9人だったね(笑)付け加えるとしたら、自分かな。僕はずいぶん、自分で自分を指導した。

Interviewer:
それは初期段階から?

John Curry:
ええ、そうだと思う。例えば、3Loopは、誰に教わったわけでもなく、自分で身につけた。何年か2Loopを成功させていたので、トリプルもできないはずはないと思い、やってみたらできた。自分で学んだのか、天性のものなのか。後者はまた違うが…たぶん自分で習得したのだろう。

Interviewer:
自己流ゆえに、他のコーチの指導を受けづらくなることは?

John Curry:
それはないだろう。たとえばCarloにとって僕は難しい生徒ではなかった。彼がやれと言ったことを素直にやるから。結構なコーチ代を払っているのに、教えを乞わないのは馬鹿らしいでしょう。少なくとも彼らの技術やアイディアを否定する前に、まず言われたことを試してみるべきだと思う。「僕は変わらない」という人もいるが…

Interviewer:
Gerschwilerも同じことを言うだろうか?

John Curry:
いや、彼は僕に対してポジティブなことは言わないだろうね。僕は好かれてないと思う。

Interviewer:
でも彼は君のコーチとして、かなり長いよね。

John Curry:
給料のためだよ。それに僕は悪くない生徒だった。少なくとも彼の恥ではなかったはずだ。

ナレーター:
6年間にわたるGerschwilerとの提携が終わりを告げた後、カリーは前年初めて獲得した英国チャンピオンの座を明け渡すことになる。彼自身の苦行を優先するため、チャンスを棒に振ったのだと言う者もいた。ジャッジの受けがいまいちだったとしても、彼のアーティスティックなスタイルは、試合後のGALAでいつも需要が高かった。

John Curry:
このレベルの試合に参加しておきながら、ただただ純粋に芸術的なスケーティングだけで勝てると思うのは馬鹿げてるでしょう。音楽と一体化して美しく滑ればいいか。競技スケートとは、そのようなものではない。それはよく理解している。だから試合では、当時スタンダードだった要素をこなすようにしていた。3つのトリプルを含むジャンプ、スピンやステップなど、試合用のプログラムでやるべきことは全て。ただ、ジャッジにはそう見えなかったようだ。多くのスケーターはジャンプの助走を長くとる。そうすれば見逃されることもなかっただろうが、僕にはそれが(競技プロの)要求に答えるものとは思えなかった。助走、ジャンプ、助走、ジャンプの繰り返しではなく、ジャンプをステップやムーブメントのフレームワークの中に組み込みたかった。ある意味、助走を隠すように、誰も予期しないところで跳ぶことが、より効果的だと信じていた。というわけで、僕はやるべきことをやっていたが、彼らは気づきもしなかったんだ。

Interviewer:
システムと戦っている、という意識はあった?

John Curry:
それはかなり。なぜなら、(試合では)一年間、練習してきた詩の朗読を、ろうあ者に披露しているような気分だったから。僕の関心は自分のパフォーマンスだ。ジャッジの出す点数には、あまり興味がない。なぜなら、それはあらかじめ統制されており、ジャッジは自分に与えられた役割を果たしているだけだから。つまり、彼らの国の選手を一位につけること…残念なことだが。だから個人的には受け取らないようにしている。例えば、ミュンヘンの世界選手権は酷い出来だった。本当にがっかりして、前年の4位から7位へ転落しても、当然と受け止めた。こんなみじめなパフォーマンスをしてしまった自分に腹が立った。僕は6ヶ月間、落ち込み続け、その後システムを勉強し、再スタートを切ることができた。

Interviewer:
諦めろと言う人もいたね。

John Curry:
Yes, yes。みんな僕に諦めろと言った。

ナレーター:
9人のジャッジは、過酷な評価という形で、彼にアドバイスを与えた。下された判定への観客の敵意、恩寵の失墜から再び立ち直るのは不可能と思われた。

John Curry:
スケートの世界はプレオーダー的要素が強い。ここ数年のワールドやユーロ、国内選の結果を見れば分かると思うが、昨年の結果が、ほとんどそのまま翌年に持ち越される。毎年のメモリアムのようなものだ(苦笑)前年の一位、二位、三位が次の一位、二位、三位になるが、人はそんなに安定しているものではない。特に世界のトップレベルで、安定性を保てる人はいない。これが意味するところはシンプル。一人だけ浮いた点数をつけて、追い出されることを恐れたジャッジが、前年の評価を存続させてしまうのだろう。

John Curry:
彼らはトレースの乱れを見ても無視してしまうということ?

Interviewer:
そもそも彼らがトレースを見ているとは思えない。フリースケートさえも、ほとんど見ていないだろう。彼らは何も見ていない。ファイナルの前の晩、誰にどう配点すれば想定通りの結果が得られるか、その手の専門家にあらゆる計算を依頼し、はじき出した数字を持ち込むだけ。最終結果がISUガイドラインに沿った形になるよう考慮しながらね。

Interviewer:
君の言うことはつまり、スケート界が腐敗している、ということ?

John Curry:
ええ、その通り。一つ言えるのは、跳びぬけて実力がある選手は、そのうち勝てる。ただ、全体的なシステムは著しく腐敗している。採点の裏取引もある。例えば、アメリカ、カナダ、その他どの国でもいいが、アイスダンスかペアに強い選手がいるとする。女子シングルはそこそこ。するとこの国は、別の国のジャッジの所へ行き、「我々はどうしてもアイスダンス競技でメダルがほしいんだ。この子を外すのに協力してくれたら、別の手段でお礼をする」などともちかけ、例えば相手国の男子シングル選手に高得点を出す条件で、彼らのサポートを取りつけたりする。エキサイトするのは難しい状況だね。

Interviewer:
これは君の見解?それとも実証できる?

John Curry:
本当のことだよ。

10:38 am, by lyrico 1
Notes
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